2018.05.10
こんにちは、freedom smileの山口達也です。
続いていた春の雨が上がって心地よい気温がもどったその日、糸島から福岡市内へ向かう車の中で聴いていたのは僕が東京に住んでいた頃に吉祥寺で路上演奏をしていたジョンジョンフェスティバルを見て買ったライブアルバム。
一曲目の『Sally Gally』を聴くと東京を離れて福岡へ引っ越す直前に行ったジョンジョンフェスティバル活動休止ライブの日のことが思い浮かぶ。
入場料無し、代わりに手土産をひとつ持ってくるというおもしろいルールで、会場は多くのファンと溢れんばかりの手土産の山で超満員だった。
数年前のライブの余韻を思い出しつつ到着したのは今回ジョンジョンフェスティバルが演奏をするライブ会場「春吉バルCLUTCH」、今日はここで久しぶりにジョンジョンフェスティバルの演奏を聴くのだ。
「最近インタビューをいろんな人にさせてもらっていて、もしよければお時間いただけませんか?」
そんな突然のお願いにジョンジョンの三人から快くいいですよと返事をもらいライブ前の貴重な時間にお話を伺う事ができた。
先日のオーストラリアツアーのこと、
九州ツアーのこと、
これからのこと。
今日はそんな2018年4月26日に聞かせてもらった話をここに綴っていこうと思います。

JohnJohnFestival結成のお話。
ー今日はライブ前のお忙しいタイミングに時間を作っていただいてありがとうございます。
僕自身久しぶりのジョンジョンフェスティバルのライブなので演奏をとても楽しみにしています。
まずはこのバンドの起源について、結成までのお話をお聞かせください。
トシバウロンさん :
「音楽家のおきつななこさんが組んでいた “ななこが” というユニットのナナコさんともともと僕が知り合いだったんですけど『トシさんライブやるから来ない?』と誘われて、じゃあ誰か誘って行こうかなと思って声をかけたのがANNIEとJohnでした。
その時にはすでに知り合いではあったし二人はもともと同じ大学でバンドも組んでたんだけど僕ら三人ではちゃんと一緒に演奏したことなかったんです。
バンドを組もうとかではなく単発のユニットをやる気持ちで二人に声をかけました。
それで福岡と佐賀に2DAYSくらいで行ったのかな。」
ANNIEさん・Johnさん
「いや、3DAYSだったよ!佐賀が2日間だった。」
トシバウロンさん :
「そうだ、白石でもやったね、季節の料理を出すようなところですごくいい雰囲気のところだった。 その時すごく楽しかったですね。
みんなもたぶん割と軽いノリでツアーにも行ったんだけど楽しかったし『東京でもやる?』ってなって。」
ANNIEさん :
「その頃まだ演奏で違う町に行くっていう経験がそんなになかったから、飛行機で九州に演奏に行くなんて、くらいの気持ちでしたね。」
トシバウロンさん :
「初々しかった、二人も楽しそうでしたよ。」
ANNIEさん :
「それが2010年の1月。」


—今日車の中で2010年のカフェAmarでのライブ音源を収録したアルバムを聴きながらここまで来ましたよ。 (カフェAmarは2014年まで東京吉祥寺にあったカフェ。店内のブランコが象徴的で僕もよく通っていました。)
あれも2010年で10月くらいのライブですよね。
ANNIEさん :
「あのCD持ってるんだ、黄色いジャケットの!」
Johnさん :
「すごい!レアですね。」
トシバウロンさん :
「ちょうどその頃だね、ジョンジョンフェスティバルって活動はじめてから短期間でものすごくぎゅっとすごいエネルギーで駆け抜けてきたんですよ。
たぶん一番エンジンがかかったのは結成初期の夏に吉祥寺でバスキング(路上での演奏活動)を毎日くらいの勢いでやりまくってたこと。
その時に曲や人前で演奏することを鍛えたりしてました。」
ANNIEさん :
「なんか自信みたいになった。 やると『わっ』てなる瞬間を体感できたから、なんかジョンジョンやってると楽しいけど聴いてるみんなも楽しいと思ってくれてるんだと自信を持てるようになったかな。」

バンド名の由来
—ジョンジョンフェスティバルという名前はどうやって決まったんですか?
トシバウロンさん :
「その2010年1月のツアーで僕が暫定的に考えたのがジョンジョンフェスティバルという名前で、これでいい?ってJohnに聴いたら『いいですけど、、、』と言いながらすごく嫌がってた(笑)」
—(笑) その時にはもうJohnさんはJohnさんだったんですね。 それでジョンジョンフェスティバルと。
Johnさん :
「大学の頃にはもうJohnでした(笑)」
トシバウロンさん :
「なんか響きがいいなと思って。 そのあとJJFという曲もできたり。」
—そうやって結成されて今年で8年ですね。
その後活動を本格的に始められて行く中で、この三人で目指す目標や着地点というのはあったんですか?
トシバウロンさん :
「始めた頃はそういうのはなくてやるのが楽しいみたいな感じだったけど、二、三年後の中期目標みたいなことは二人に話したことはありました。
こういうところで演奏しようとかこんな感じになっていようとか。 すごく先のことはまだ分からないけど走っていく途中の通過点はこうしようというのは話してましたね。」

—今回のオーストラリアツアーのような海外での活動のことも当時の目標にはあったんですか?
トシバウロンさん :
「初年度には無かったかなあ、初年度は駆け抜けるのが楽しすぎて。 別のバンドでしたけど僕が翌年とか翌々年くらいから海外に行きはじめた時にジョンジョンでも行きたいなという想いはあった。
二人は分からないけど僕はこういう音楽をやっているから最終的にはどのバンドでもアイルランドにツアーで行きたいなという想いはありましたね。 アイルランドとかってツアーしづらい国なんです実は。
というのもあまりお金でビジネスが成り立つような国ではないんですよ。
音楽はすごく盛んなんだけど生計を立てないで盛んにやってる感じだからツアーで正式にまわるというのを海外からしに行くのは難しい。
加えてものすごくレベルが高いからちゃんとニーズが成り立つツアーをするというのはいろんなステップを踏まないと行けない。
ぱっと行ってさっと演奏するのは誰でもできるんですけどね、それはどうなんだろうと思って。 逆に目標としては高いからちゃんとやりたいなというのはありました。」

—ちなみにトシさん、ANNIEさん、Johnさんそれぞれが初めてアイルランド音楽に触れ、それをやっていくことになるきっかけはなんだったんですか?
ANNIEさん :
「僕はアイルランド音楽に出逢う前にAkeboshi(アケボシ)さんというシンガーソングライターの大ファンでその楽器の音色とか楽曲の雰囲気がすごくいいなと思っていたんです。
その後大学に入学したらアイリッシュミュージックのサークルがちょうど立ち上がって、Akeboshiさんのイントロの笛の音はこれだ!と。 ケルト音楽の曲調もすごく好きでそのサークルに入ったのがきっかけです。」
トシバウロンさん :
「僕はアイルランドに2000年から一年間住んでたんですよ。 それまでは音楽もやったことも無かったんです、初めて音楽体験したのがアイルランドの音楽でした。」
Johnさん :
「私は大学一年の頃、ANNIEが入ったそのサークルがちょうど出来た年だったんですけど立ち上げたのが私の学科の先輩だったんです。 私はバイオリンをずっとやってて先輩に『バイオリンできるんだったらこういう音楽やってみない?』と誘われたのがきっかけですね。」

オーストラリアツアーへ
—そこからこの三人が出逢っていくわけなんですね。
では時間軸をぐっと今年に戻しまして、オーストラリアでの海外ツアーお疲れさまでした。
今回オーストラリアをツアーの場所にされた経緯はどういったものだったんでしょうか。
トシバウロンさん :
「実はオーストラリアは2014年に一度行ったことがあるんですよ。
ツアーのブッキングを今回担当したのは僕だったんですが、他の国に比べるとオーストラリアって海外ツアーとしては割と行きやすいんです。
まず距離が他の国と比べて近いのでコスト的にも安い。 そしてフォーク音楽シーンが日本よりも盛んではあるんだけどヨーロッパやアメリカに比べるとまだそうではない。
だからツアーするにはちょうどいいんです、でもやっぱりすごく刺激はあるしファンの人たちの層も僕は厚いなと思っているし、フォークフェスもいっぱいやってるんですよね。
前回は一回しか行けなかったんですけど正式な手順を踏めばフェスにも参加の応募は出来るし通ればツアーも出来るなと思っていた。 もともとやろうという話はあったし、たまたまタイミングがあったのが今年でした。 僕も友達がオーストラリアにいたりして情報をしっかり集められたというのも大きかったです。」

—オーストラリアのツアーへ行く前と行った後とで音楽的な景色が変わったりはしましたか?
ANNIEさん :
「僕の場合はそんなに変わった自覚はないですね(笑)
こうやって海外の人に受け入れられたこととか数を重ねることが出来たことは自信にはなったけど何かが変わったというのはなかったかな。」
トシバウロンさん :
「ジョンジョンフェスティバルはどこへ行っても受け入れられるという自信はあったんですけど今回のオーストラリアは自分の期待以上でした。
お客さんが求めてくれたり評価をしてくれたりというのを自分が想定していた以上に感じて、それはやっぱりうれしかったですね。
あと聴いてくれた方もジョンジョンフェスティバルのどこがいいとかを知った上で聴いてくれてた。
話す機会があった時に『あなたたちのケルト音楽は他と違う、なぜならこうだから。』みたいな感じで言ってくれたりするんですよ、リスナーもディープだなと思うこともあったりしてそういう人たちに届いているということが嬉しかった。」
Johnさん :
「やっぱり自信にはなったかな、向こうはフォークミュージックを日常的に聴いている民族だからそんな人たちが私たちの音楽で踊ってくれたりしたのをみると “ 私たち意外とイケるじゃん ” というか(笑)」
一同(笑)
Johnさん :
「大丈夫なんだ、と言うのも変だけど受け入れてもらえたんだと自信になりました。 おばあちゃんも踊ってくれてたりしたしね。」
トシバウロンさん :
「向こうの人たちは日本人に比べるとよく踊る。
聴いてる自分たちも楽しんで、演奏してる演者も楽しませてくれるんです。 熱量の交換があるというのか、こっちも楽しく演奏できちゃう。」
—日本に戻って来られてこれからまた日本でのツアーやイベントへの出演も決まっていますね。
そうなってくると新しいアルバムの発表を期待してしまうんですがそのあたりはどうなんでしょう。
ANNIEさん :
「・・・・作り、ます。」
一同(笑)
ANNIEさん :
「いつ録るのかはちゃんと決まっていないけど、前作が活動再開した一昨年の発表だったのでその後出来た曲もあるし。
ジョンジョンフェスティバルって割とその時取り組んでることを一枚のアルバムにぎゅっとまとめていくスタイルで作ってきたから次は落ち着いてどういうアルバムにするか丁寧に考えていきたい。
ライブで試す時間もあるから発表は遅くなるかもしれないしスパッと出来ちゃうかもしれないけど、バンドとしての意識は次のアルバムを作ろうという方へ向かっています。」
トシバウロンさん :
「まさにそういうタイミングだね。
今年一緒に共演することになってるミュージシャンの方が何人か決まっていて、今度【森、道、市場2018】で共演するトクマルシューゴさんとはこないだ一緒に自分たちの楽曲のリアレンジをしてもらったんですけどそういうのも刺激になっていて。
活動休止前最後のライブもいろんな共演者に出てもらうことで成り立ってた。
休止前のジョンジョンフェスティバルの長所のひとつは " 誰かと一緒にやる" ということにポジティブだったことだと思ってるんです。 一緒にやってくれる人の良さを早い段階で感じ取って一緒に楽しめるところがこのバンドの強みだと感じてた。
そうやって一緒にやることが活動の幅を広げてくれているから活動再開後の今でもどんどんやりたいと思っています。
今回の国内ツアーでもzerokichiさんだったり井上周子さんと一緒に演奏してその人たちの出す音に刺激をもらいながら自分たちのライブを作ってる。 そういうのが次のアルバムにいいカタチで入るといいなと思うんですよね。」

—今回海外ツアーを経て九州ツアーが始まったわけですが、これまでのライブの中で忘れられないなあと感じた瞬間のことを教えてください。
トシバウロンさん :
「オーストラリアツアーの最初、ウッドフォードという何万人という規模で人が来るような大きいフェスがあって、そのステージは結構勝負だなと思ってた。
初めてだし気温も暑いしと過酷な環境で自分たちも試行錯誤しながら出し切ったんだけど、そこのステージマネージャーとかスタッフとかエンジニアとチーム感が出せてお客さんも盛り上がって、それがかなり達成感があってすごく憶えていますね。
ステージマネージャーの方とは帰国した今でも連絡取り合ってます。」
ANNIEさん :
「ツアー中フェスティバルだったりその土地土地で出逢ったミュージシャンも多かったんですけど、その中でもMonique Clare(モニククレア)というチェロを弾いて一人で歌う女性の方がいてフェスで仲良くなれた。
その二週間後に出演したフェスでまた会った時に一緒に演奏もしたんですけど、演奏中にすごく “ いい瞬間 “ というのがあった。
『共演』というよりは僕ら三人と彼女と四人で『いい音楽をしている』という瞬間があったんです、それを思い出しますね。」
トシバウロンさん :
「それも捨てがたいね。
Facebookにも動画をあげてるんですけど打ち合わせとかも無くほとんど即興でやって一瞬で相手とのいい部分を見つけ出せた。
あの時はANNIEがいい仕事してたんですよ。」
ANNIEさん :
「熱量とお互いの音を聴き合う関係性がすごく噛み合ってたし、噛み合ってた上でさらにその上へ行けた。」
トシバウロンさん :
「その感覚はみんな共通してたね。 僕彼女に言いましたもん、『心を盗まれた』って(笑)
ガハハハって笑ってましたけど(笑)」
Johnさん :
「私が印象深いのは水着で演奏したことかな(笑) プールサイドで、あれは日本では出来ないなあ。
屋外に大人用と子供用のプールがあってその周りが芝生のプールサイドになっていたんです。 水で遊んでる人もいればのんびりしてる人もいて、音楽聴きながら踊ってる人もいたりして。
その中で私たちも水着を着て演奏をしました。」
トシバウロンさん :
「どの瞬間もすごく楽しかったしいろんなベストを見つけられました、向こうの人たちもスペシャルな感じで受け入れてくれててそれも嬉しかった。」
Johnさん :
「向こうの人からすると得体が知れないじゃないですか、日本からやってきた三人がアイルランド音楽を演奏するって。 私だったら得体が知れないなあと思っちゃうんですけどみんな楽しみに聴きにきてくれたりスタンディングオベーションがあったりしてぐっときました。
みんなちゃんと言葉にして伝えてきてくれるんです、道ですれ違う時に『よかったよ!』とか『見たよ!』とか必ず一声かけてくれる。」
ANNIEさん :
「『アメージング!』って100回くらい言われた(笑)」
Johnさん :
「それもさらっと会話の延長で言ってくれる。 海外三回目にしてようやく正面から向かい合えたというか、最低ラインに立てたかなと思う。」

これからのこと。
—最後に、これからまたツアーも続きますが海外公演を経てこれからライブに足を運ばれる方へメッセージを。
ANNIEさん :
「海外は特別なことではあるんだけど逆に『海外に行ってきたんだ』って目で見てほしくないというのはある。」
トシバウロンさん :
「それは結構大事だね、僕なんかは浮かれて『海外行ってきましたー』なんてステージで言ったりするとANNIEに『それは格好わるいよ』と嗜められたり(笑)」
ANNIEさん :
「僕らの中で確実に変わってるものはあるんだけどフィルターを通してほしくない、その時その時で見てほしいから。
こんな体験をしたとかいうのは伝えたいけど、海外に行くようなバンドなんだとか海外でもウケてるバンドなんだとかって見てほしくないというのがあって。
僕がこういう音楽をやっているのも大好きでやってるから、日本人でこういう音楽をやっているということも結構気にしていて。
『日本人だと思われたくない』というか。 それよりは音とかやってる姿を見てほしいというのがある。
だから、ライブは絶対いいから来てくださいという感じです(笑)」
トシバウロンさん :
「僕は、海外に行くようなバンドなんだ!ってびっくりしてほしい(笑)」
一同(笑)
ANNIEさん :
「これがジョンジョンフェスティバルです(笑)」
トシバウロンさん :
「こういう音楽を知らない人にも聴いてもらいたいし、知ってる人にも楽しんでもらいたいって言う欲張りなところがあるかな。
僕昔ジョンジョンフェスティバルの標語を作ったことがあって、『楽しく、、、』なんだっけ?」
一同(笑)
トシバウロンさん :
「『楽しく明るく朗らかに』だ! " 聴く人も弾く人も幸せにする音楽 " 、それに尽きるなと思うんです。
その想いでずっとやっています、そこはあまり変わらないよね。
割りといい標語作れたなと誇りに思っています。」
—今言葉が出てくるのちょっと危うかったですけど(笑)
一同(笑)
Johnさん :
「よく弾いてる三人を見て『楽しく弾いてますね』って言われるんですけど、弾いてるのが楽しいという事が見てる人にも共有できているのは嬉しい。
楽しいという感情が共有できることが私たちも楽しいな一番。」
—楽しいという想いが伝染していくというのはとても素敵なことですよね。
どこかのタイミングで僕が今住んでる福岡の糸島にもジョンジョンフェスティバルのみなさんに演奏で来てもらえればと思っているのでこのインタビューが一人でも多くの人に届いてくれたらと思っています。
今日はライブ前の貴重な時間をありがとうございました。

その後満員の会場で福岡のステージに立った三人はとても楽しそうでオーストラリアの話やこれからの話もMCで語りながらも大事なことは演奏ですべてお客さんに伝わっていたように感じた。
活動再開後の作品のタイトルにもなっている『Forget me not』。
本来の意味だけでなく、メンバーの三人それぞれが自身の原点を忘れないという想いも込められているのかもしれない。
この日のアンコールで最後に演奏されたのは会場へ向かう道中で聴いていた結成間もない頃のライブアルバム一曲目に収録されていた『Sally Gally』で点と点が線に繋がったような夜だった。
結成10年目を目前に控えたジョンジョンフェスティバル。
" 聴く人も幸せにする弾く人 " である三人の旅は今日もどこかで続いている。
文・写真・絵 freedom smile (山口達也)
《ジョンジョンフェスティバル》

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