2016.06.14
なんかやさしくて残酷な春を通り越して夏にかわって、
街のにぎわいも少し彩りを増す、
変わる事と、変わらない事のふたつがうまくシーソーを繰り返しながら
毎日は保たれているんだという事を知ったりする。
カセットテープのレビューをここで書かせてもらうようになってちょっとの時間が経ったんだ
けども、きっと手に入らないんだろうなあと思っていたバンドのカセットがようやく手に入った。
THE YELLOW MONKEY 『 SO YOUNG 』

90年代後期はもうすでにCDが主流だったのにどうやらメーカーさんから各店舗バイヤーさん
へカセットでサンプルが配布されていたらしい。
この頃はCDでサンプル配布するよりカセットの方がコスト的にも安かったんだと思う。
僕が某黄色い看板のレコード屋さんで働いてたときはもうCD-Rで送られてたから2000年前半
までの作品だったらこうやってカセットで聴けるものが残ってるのかもしれない。
これまでイエローモンキーの記事はいくつか書かせてもらってたけどレビューらしいものは
なかったので今回はバンドの節目の曲という意味も強い『SO YOUNG』のデモテープを紹介
しようと思います。


発表された1999年は全国をまわる113本のツアーPUNCH DRUNKARD TOURの途中。
ニューヨークで録音されたからなんだと思うけど、カップリング曲も
『NEW YORK CITY LOSER』という曲になっている。
個人的にはこの曲もアルバムに入ってていいくらいの色気とかっこよさがあると感じてる。
イエローモンキー18枚目のシングルであり今となっては第一期の最後を告げる曲にもなった。
新しいイエローモンキーのスタートであり最後のアルバムになった『8』には正式に収録され
なかったものの初回生産分に本編と分けるカタチで8cmのボーナスディスクが付く二枚組に
なっていて、こっちの方に収録されていた。
聴き手としては一枚にまとめてある方が聴きやすいし、どうして二枚に分けちゃったんだろう
と疑問だったけど今思えばその意味が痛いほど伝わってくるし、『8』と一緒にする事すら嫌
だったんじゃないかなと思う。
『SO YOUNG』
まだ10代だった僕はこの曲を聴いた時、少し地味で暗さと重さを孕んでいて何度も聴きたいと
いう類いの曲ではなかった。
LOVE LOVE SHOW だったりBURNだったり、キラキラしたイメージがあったからだと思う。
この頃テレビに出ていた吉井さんもどっか元気がないような印象もあった。

あれから10年以上経って、今こうやってカセットになっているものを手にしたいと思えたのは
イエローモンキーというバンド、強いては吉井和哉という人間そのものがその後の自分の生き方
に多大な影響を与えたからというのは間違いない。
大切な節目の時にはいつも吉井さんの作った歌がすぐそばにあった。
おかげで今でも長い髪とパーマをキープしてしまってるしね。
カセットはA面とB面の両方に『SO YOUNG』と『NEW YORK CITY LOSER』が収録されていて、
オートリバースのカセットプレイヤーを使っている限り延々とこの二曲をループしていく。
シングルでCDを買うという事をしばらくしていないけど、学生の頃部活終わりに駅前のCD屋まで
行って帰ったらご飯もそっちのけで8cmシングルのタイトル曲、カップリング、カラオケを繰り返
し聴いてたなあなんて事を思い出したりした。
さっきも書いた黄色い看板のレコード屋さんの面接を受けた時、面接してくれた当時のチーフは僕が
イエローモンキーが好きだと話すと自分も好きでさ、と言って質問もほどほどにそのあと30分はどの
曲が好き? みたいな話しかしなかったのに結果採用してくれた。
それから一年半が経って、やっていたバンドもうまく活動できていなくて店も辞めようか悩んでいた頃、
事務所のラジオから『太陽が燃えている』が流れてきた時に " この状況を断ち切って先に進まなきゃ "
と背中を押してくれた。
結果その後お店は辞めて自分のバンドも解散、ひとり東京へ行く事になるんだよね。
今でも忘れないけど、店の送別会の日に放送されたMステに吉井さんが出てて『BELIEVE』を歌ってた。
《どうにもならないとは思わずに 今を駆け抜けたい》、と。
大切な節目の時にはいつも、吉井さんの作った歌がすぐそばにあった。
今年はイエローモンキーも再集結、このタイミングで『SO YOUNG』に改めて出逢ったわけで。
ラジオから流れる『太陽が燃えている』を聴いてちょうど10年目、もうひとつ先に進んでいけよと
言われているのかな。
あの日僕らが信じたもの、それは幻じゃないと言えるまでもう少し走らなくちゃ。
text : freedom smile (山口達也)
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